善慧院・明暗寺 〔東福寺〕 (京都市東山区)
Zenne-in Temple

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「贈従五位 吉井義之墓所」の石標


弁天堂


弁天堂

弁天堂、三葉葵紋





苔庭
 東福寺境内の北に塔頭・善慧院(ぜんねいん)がある。山門には、善慧院の寺号とともに「明暗寺(めいあんじ)」の寺号もかかる。明暗寺は普化(ふけ)尺八明暗流根本道場として知られている。 
 臨済宗東福寺派。本尊は文殊菩薩。
◆歴史年表 室町時代、大永年間(1521-1528)、彭叔守仙(ほうしゅく しゅせん)の退隠所として創建された。
 近代、1871年、明暗寺(妙安寺)が合併される。以後、明暗寺は普化尺八明暗流の拠点になる。
◆彭叔守仙 室町時代の臨済宗の僧・彭叔守仙(ほうしゅく しゅせん、1490-1555)。信濃の生まれ。東福寺の自悦守懌(じえつ しゅえき)の法を嗣ぐ。1538年、東福寺住持、1547年、南禅寺に移る。大永年間(1521-1528)、東福寺・善慧院を創建した。能登・崇寿寺住持。別号に瓢庵。
 五山文学者としても知られた。「猶如昨夢(ゆうによさくむ)集」「鉄酸とう」などを著す。
◆虚竹了円 鎌倉時代の普化宗の僧・虚竹了円(?-1298)。詳細不明。寄竹了円。心地覚心(法燈国師)の弟子。1335年、北白川の明暗寺の開山。尺八の元祖とされ、伊勢・朝熊山の虚空蔵堂に参籠し、夢中に感得し、「虚空」「霧海」の尺八二曲を作曲、「虚鈴」とともに明暗開宗根元としての「三虚霊」を完成したという。
 宇治折坂に虚竹の墓(普化塚)とされるものがある。
◆心地覚心 鎌倉時代中期の臨済宗の僧・心地覚心(しんち かくしん、1207-1298)。信濃国に生まれた。15歳で神宮寺の忠学に学び、1225年、東大寺戒壇で受戒、高野山の伝法院覚仏、道範に密教を、禅定院(金剛三昧院)の行勇に禅を学んだ。1239年、行勇に従い鎌倉・寿福寺に移り、1242年、深草・極楽寺で道元から菩薩戒を受ける。1249年、宋に渡り、1254年、帰国、1258年、高野山の金剛三昧院住持。由良・西方寺(後の興国寺)、洛西・妙光寺の開山。諡号は法燈円明国師。法燈派の祖。
 入宋した際に、張伯16世の孫・張参から張家伝来の尺八曲「嘘鈴」を習い、日本に虚無僧で知られる普化宗を請来した。また、味噌・醤油の技法も伝えたという。
◆天外明普 鎌倉時代の普化宗の僧・天外明普(てんがい めいふ、生没年不詳)。詳細不明。心地覚心の法嗣。1335年、北白川に虚竹(寄竹)了円を開山として明暗寺を創建した。普化宗の派祖。
◆吉井義之
 江戸時代後期-近代の尊攘派志士・吉井義之(よしい よしゆき、1826-1892)。貞七、定七、三宅弥右衛門など。但馬国生まれ。荒物呉服、売薬商。尊攘論を唱え、梅田雲浜らと交わる。1863年、学習院に北海道開拓の件を建白した。尊攘派追放のクーデタ、8月18日の政変後帰郷、但馬の尊攘派による生野挙兵で敗れ、弟・弥兵衛と脱走、周防国三田尻で奇兵隊入隊。1864年、京都に入り、新撰組による襲撃、池田屋騒動で長州藩邸へ逃げ込む。長州藩と会津・薩摩藩の戦闘、禁門の変で負傷し帰郷。維新後、山陰道鎮撫総督、新政府軍と旧幕軍の1868年、北越戦争に参戦した。1870年、京都府に仕えた。善慧院に墓がある。
◆尾崎真竜 江戸時代後期-近代の尺八奏者・尾崎真竜(おざき しんりゅう、1820-1888)。宇(卯)右衛門。 紀伊の生まれ。渡辺鶴山に師事。明暗寺の役僧。尊攘派の密使のため捕らえられ、紀伊新宮に幽閉された。真竜の明暗真法(じんぽう)流門下に近藤宗悦、勝浦正山がいる。
◆樋口対山
 江戸時代後期-近代の尺八奏者・樋口対山(ひぐち たいざん、1856-1914)。対山孝道。名古屋生まれ。浜松普大寺・玉堂梅山の門人、兼友西園に尺八を師事。1885年、京都に移り、後に明暗教会の訳教。1890年、東福寺塔頭・善慧院を明暗教会として復興した。本曲を収集整理、後に明暗対山流(対山派)と呼ばれた。明暗中興の祖。没後、法系34世(後35世)を追配される。
◆明暗寺 明暗寺(めいあんじ)は、山号を虚霊山、単立の普化正宗の総本山であり、普化宗主要七派(六派とも)中の寄竹派とされる。本尊は普化尺八の開祖・虚竹禅師像を安置し、像は尺八を吹く姿をしている。
 鎌倉時代末期、1335年、心地覚心の法嗣・天外明普(派祖)が虚竹(寄竹)了円を開山として創建したという。当初は北白川(三条臼河橋)にあった。近世(安土・桃山時代-江戸時代)初頭、寛永年間(1624-1644)とも、東山池田町付近(大仏池田町、妙法院隣地)に移る。江戸時代には、普化宗の主要寺院として虚無僧寺とも呼ばれた。当時、下総・一月寺、武蔵・鈴法寺とともに、京都の明暗寺が普化宗本寺触頭として統轄した。
 近代、1871年、明治政府は幕府との関係が深い普化宗を廃止させる太政官布告を出した。寺は、近代以降の廃仏毀釈により廃宗、廃寺に追い込まれる。虚無僧は僧侶の資格を失い、民籍に編入された。その後、1890年、樋口対山が東福寺塔頭・善慧院内に「明暗教会」を設立し、1950年、「宗教法人普化正宗明暗寺」として再興された。
◆普化宗・興国寺 禅宗、普化宗の寺院として、紀伊・興国寺(こうこくじ)(和歌山県日高郡由良町)がある。現在、臨済宗妙心寺派の興国寺は、鎌倉時代、1227年、高野山金剛三昧院の願生(葛山景倫)が主君・源実朝の菩提を弔うために創建した。山号は峰山という。当初は真言宗寺院で西方寺と称した。
 1258年、願生は宋より帰国していた心地覚心(法燈国師)を開山に迎える。その後、第96代・南朝初代・後醍醐天皇より興国寺の寺号を贈られる。覚心は、1249年に入宋し、張伯16世の孫・張参より張家伝来の「嘘鈴」の尺八曲を習っている。1254年に帰国した際に、唐の普化を祖とする普化宗を日本に伝えた。杭州・護国寺より張参の弟子、虚無僧の宝伏、国佐、理正、僧恕ら4人を伴って帰国しており、彼らは興国寺内の普化庵に住み、普化尺八を奏したという。心地覚心の弟子・虚竹禅師(寄竹)は、彼らより尺八を習い、尺八の元祖と称された。なお、心地覚心は金山寺(径山寺)味噌の製法も伝えたという。
 寺は1585年、羽柴秀吉の紀州征伐により焼失、1601年に再興された。江戸時代、臨済宗妙心寺の末寺として普化宗の拠点寺になる。1956年、臨済宗妙心寺派から一時独立し、臨済宗法燈派大本山となる。その後、1986年に妙心寺派に復した。
◆虚無僧・尺八 尺八の流派は複数ある。大別すると琴古(きんこ)流、都山(とざん)流、明暗(めいあん/みょうあん)流があり、明暗流・明暗寺系としては、明暗真法(じんぽう)流と竹保(ちくほ)流がある。前者は尾崎真竜(1856-1942)、後者は酒井竹保(1892-1984)による。
 虚無僧(こむそう)は、普化僧、薦僧(こもそう)ともいう。禅宗の一派・普化宗の僧であり、剃髪しない半僧半俗だった。起源は、南北朝時代の武将、楠木正成の孫・楠木正勝(生没年不詳)によるともいう。虚無僧の呼称は、坐臥用の薦(こも)を腰に巻いていたことに因るとも、「虚無」が空の意とも、人名によるともいう。頭に天蓋(てんがい)という深編笠を被り、首から袈裟を掛け、小袖に腰に刀を帯した。尺八を吹き諸国行脚し喜捨を請うた。ただ、衣装には時代の変遷があり、江戸時代中期以降、刑逃れの虚無僧が横行したため、幕府統制により身なりについても規制があった。
 近代以降、1871年、明治政府は旧幕府との関係が深い普化宗を廃止、虚無僧は僧侶の資格を失い民籍になる。その後、1888年、東福寺塔頭・善慧院内明暗寺に明暗協会が設立され、虚無僧が復興した。
 心地覚心は尺八を坐禅のように禅修行の一つととらえた。「吹簫禅」といい、この簫(しょう)とは、気鳴楽器の一種、リードがない竹管を使った縦吹きの笛になる。「吹簫禅」「吹禅」とは、尺八が単なる楽器ではなく法器とし見なされる。後世、この禅尺八が明暗尺八と呼ばれた。
 明暗尺八では、一音は楔吹き(くさびふき、最初は太い息で吹き、次第に息を絞る)のように、一呼吸中が一音で終わらず、音色が微妙に変化していく。これは、禅行の数息観(自らの呼吸数を数える行)に準じた呼吸法に基づく。息は最初の「ツーレーウー」から、無韻の韻も含み変化曲節で完結させる。
 尺八は、極力手を加えない「地なし一尺八寸管」(約58㎝)の竹を正寸とした。これらは竹の音味(ねあじ)を持つとされる。当初、日本に伝来した尺八は、直管尺八といわれる節が3、4節のものだったとみられる。江戸時代に改良が行われ、7節の根竹を使う。管尻より4節目の「抱き節」といわれる部分に管内径最小の「絞り」が設けられることで、音量、音色の安定、変化が生じた。
◆庭園 山門内に枯山水式庭園の前庭がある。木立の間の庭面を苔が覆う。苔地に水盤、石碑、燈籠などが置かれている。苔は白緑色のアラハシラガゴケで、シラガゴケ科の粗葉白髪苔(あらはしらがごけ)とも呼ばれる。苔が銀色に輝いて見える。
◆墓 尊攘派志士・吉井義之の墓がある。
◆年間行事 尺八献奏大会(虚竹禅師奉賛会の主催により、全国の尺八愛好家が集い、虚竹禅師の像前で吹奏する)(11月第一日曜日)。


*普段は非公開、開門中の境内参拝は可。
*参考文献 『旧版 古寺巡礼京都 18 東福寺』『京都の禅寺散歩』『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』、サイト「尺八の根本 明暗尺八の世界」「京都 明暗寺-尺八修理工房幻海」


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「吹禅」の石碑

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善慧院・明暗寺  〒605-0981 京都市東山区本町十五丁目797番地  075-561-7889
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