泉妙院(光琳菩提所) (京都市上京区) 
Semmyo-in Temple
泉妙院(光琳菩提所) 泉妙院(光琳菩提所) 
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「尾形光琳 尾形家一族 乾山 菩提所」の碑




【参照】「緒方(尾形)光琳宅蹟」の碑、上京区上御霊前通烏丸東入上る、上御霊神社西北近くにある。晩年の居跡ともいわれているが、近年、異説も出されている。
 室町変電所の東隣に、妙顕寺の塔頭・泉妙院(せんみょういん)がある。
 この地は、江戸時代の画家・工芸家の尾形光琳と弟の陶工・絵師の乾山など、尾形家の菩提所だった妙顕寺興善院旧跡地になる。
◆歴史年表 江戸時代、1716年、尾形光琳は、尾形家菩提寺の興善院に葬られる。寺の住職は代々尾形家より出た。
 やがて、嫡子を小西家に養嫡子として出したため後継が途絶え、無住となる。
 その後、墓のみが残され、本行院の管下に入った。
 1788年、天明の大火により寺は焼失する。
 1805年、墓石は総墓所へ移されている。小西家の困窮によるものだった。
 1815年、光琳没後100年に、酒井抱一は光琳の墓石を探したものの見つからなかったという。そのため、本行院跡に碑を立てたという。
 1823年、酒井抱一は尾形乾山の墓を発見している。
 その後、本行院は泉妙院と合併し、再建された。
 現代、1962年、光琳らの墓石は、総墓所からかつての埋葬地、泉妙院の地に戻された。
◆尾形光琳 江戸時代前期の画家・尾形光琳(おがた こうりん、1658-1716)。京都の呉服商・雁金屋 (かりがねや)の尾形宗謙の次男。弟は陶芸家の尾形乾山、曾祖父・道柏の妻は本阿弥光悦の姉。少年時代から能楽、茶道、書道などに親しんだ。父、山本素軒より狩野派の画法を学んだ。1687年、父の遺産を相続する。35歳頃より光琳と称した。30歳代の終りより画家となる。1701年、法橋に叙せられた。1703年、奢侈禁止令の咎により「京市中住居お構い」により京都を追われる。1704年、江戸に一度出る。「中村内蔵助像」を描く。1709年、京都に戻る。作品に繰り返される絵柄で構成された「燕子花図屏風」(国宝、18世紀前半)。宗達を模写し、宗達の「風神雷神図屏風」を意識した傑作「紅白梅図屏風」(国宝、18世紀前半)などがある。本格的な画業を始めたのは、晩年の20年ほどだった。屏風絵のほか、香包、扇面、団扇、小袖、蒔絵、水墨画など幅広く手がけた。妙顕寺興善院に葬られた。
◆尾形乾山
 江戸時代中期の陶芸家・尾形乾山(おがた けんざん、1633-1743)。京都の呉服商・雁金屋(かりがねや)尾形宗謙の三男。次兄に尾形光琳がいる。本阿弥光悦と血縁になる。1687年、父の遺産を相続した。1688年、双ヶ丘東に住む。1689年、双ヶ丘麓で、黄檗禅の独照性円に師事する。鷹峯光悦村の光悦孫・空中斎光甫に陶芸を学ぶ。また、御室窯の2代目・野々村仁清に学ぶ。仁和寺門前で草堂「習静堂」を構え、陶芸に打ち込んだ。1699年、仁和寺、二条家、仁清の支援を得て、鳴滝泉谷で窯(泉谷窯)を開く。この地が御所の乾(西北)にあたり、作品に「乾山」の銘を記し、号とした。仁清より作陶秘法の伝授を受けた。1711年、兄との合作陶器を焼く。1712年、鳴滝の窯を閉め、二条丁字屋に移り焼物商売を始めた。1731年、江戸入谷に移り窯を開く。1737年、下野国佐野に招かれた。京都に戻らず入谷で亡くなった。伊藤仁斎に漢学を学んだ。文学を好み、直指庵・独照に禅を学ぶ。墓は、西巣鴨・善養寺、京都・妙顕寺にある。
 作品は、兄・光琳が絵付し、乾山が作陶と画賛を行った。押小路焼の中国渡来の交趾(こうち)釉法と仁清の釉法とを融合する。オランダ風、染付、錆絵なども取り入れた。光琳派風の陶画を主調とした。双ヶ丘山人とも号した。文学、禅も理解した。
◆尾形家・本阿弥家 本阿弥光悦の姉・法秀は、呉服商・尾形道柏に嫁いだ。道柏は、近江国浅井家の家来筋という。屋号「雁金屋」により手広い商いで成功した。顧客には淀殿、高台院、東福門院和子などもあったという。
 尾形道柏の子に宗柏、孫に宗謙、曾孫に光琳・乾山がある。 
◆酒井抱一 江戸時代後期の琳派の画家・酒井抱一(さかい ほういつ、1761-1829)。姫路城主、譜代大名・酒井家雅楽頭(うたのかみけ)の次男として江戸に生まれる。兄没後、1797年、剃髪し等覚院文詮暉真と称した。1809年、画房(後の雨華庵)を根岸に営んだ。30歳代終わりから尾形光琳に私淑する。1815年、光琳の百回忌を営み『光琳百図』(後に後篇)を編んだ。1823年尾形乾山の墓を発見している。「月に秋草図屏風」、最高傑作「夏秋草図屏風」(1816)などの作品がある。光琳を引き継ぐ琳派。俳諧も嗜む。
◆文化財 寺には、光琳、一族の作品、文献も保存されている。位牌も祀られている。
◆墓 尾形光琳の墓には「長江軒青々光琳墓」と刻まれている。4代乾山(酒井抱一)が再建した。
 尾形家の墓は、笠塔婆であり「尾片」と刻まれている。
◆法要 光琳忌法要(6月2日)。


*非公開
*参考文献 『京都琳派をめぐる旅』『洛西探訪』『京都歴史案内』『週刊 日本の美をめぐる 9 洗練の極致 光琳と琳派』


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 泉妙院 〒602-0005  京都市上京区妙顕寺前町514,寺之内通新町西入る  075-212-1453
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