志古淵(渕)神社・大川神社・上の宮神社 (京都市左京区久多)
Shikobuchi-jinja Shrine
志古淵(渕)神社 志古淵(渕)神社 
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拝殿


拝殿扁額「志古渕大明神」


拝殿、奉納絵馬


拝殿、奉納絵馬



本殿


本殿、扁額「志古渕大明神」


本殿、蟇股


本殿と末社
 京都市の北西、市最北部に久多(くた)地区がある。山間に志古淵神社(しこぶち じんじゃ)が祀られている。志古渕、思古淵神社とも書く。
 境内は京都市文化財環境保全地区に指定されている。社近くには安曇(あど)川に注ぐ久多川の流れがあり、筏流し、ガワタロウ(河童)の伝承とも深く関わる。
 祭神は志古淵神。かつて、筏乗りを守る神であり、筏流しの安全祈願の信仰を集めていた。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 かつて信興淵(しこぶち)明神とも呼ばれた。琵琶湖に注ぐ安曇川の支流、久多川畔にあり、周辺の産土神、地主神として祀られていた。
 鎌倉時代、天福年間(1233-1234)、既に社殿を構えていたとみられている。 (当社棟札)
 1233年、社領、料田の記述がある。(「久多荘田代注進状<岡田浩佐家文書>」同年条)
 南北朝時代、1356年、鎌鞍峯の領有をめぐり、久多と近江の隣村・葛川(かつらがわ)との境相論があり、大船村山上で合戦になった。双方に負傷者が出る。信興淵明神所の名が記され、峰は当社由緒に関する地とみられている。(「葛川明王院史料」)
 室町時代、1445年、社殿の大修復が行われた。
 江戸時代、1672年、現在の本殿が造営される。
 1698年、『山城名跡巡行志』中に神祠が河合村、宮谷にあったと記されている。
 現代、1972年、花笠踊は「記録作成の措置を講ずべき無形文化財(選択無形民俗文化財)」に選定された。
 1984年、現在の本殿が京都市指定有形文化財に指定された。
 1997年、花笠踊は重要無形民俗文化財に指定された。
 2011年、大谷大学(北区)の調査により、当社で、木造としては国内現存最古の可能性のある五輪塔が見つかると発表された。
◆祭神 祭神の志古淵明神は、「思子淵(渕)」「志古渕」「志古夫智」「信興淵」「志子渕(淵)」「醜淵」「御子淵」などとも記された。隣接する滋賀県側には忍子渕神社、鬼子渕神社などがいまも残る。
 久多の産土神であり、境内近くを流れる久多川など琵琶湖へ流入する葛川、安曇川流域一帯に限定された民俗神、地主神(地神)、水神であったという。平安時代以前以来の信仰とみられている。由緒に関して、地区の南東に位置している鎌鞍峰(鎌倉山?)との関わりがあったとみられている。この地域では、鎌倉時代より生業として筏流しが始まった。山で伐採された木は、筏に組まれ、支流より安曇川を経て琵琶湖まで運ばれた。川には難所もあり、筏師の間で志古淵神は、悪魔を封じる呪力があるとされた。
 平安時代の天台宗の僧・相応(831-918)は、比良山中で修行を行っていた。安曇川畔坊村の滝に遭遇する。7日間の明王を念じていると老翁が現れた。翌日、相応が何者かと翁に問うと、思子淵神と名乗り、不動明王後進の明応に別領を与えるという。滝は葛川滝といい、兜卒内院に通じるものであると教えた。以後、修行者を見守り、仏法を守ると伝えて消えたという。翌日、相応は滝内に明王を見たため滝内に飛び込み、拾い上げた霊木に不動明王を刻み無動寺の本尊としたという。また、明王は息障明王院、伊崎寺にも安置されたという。また、相応は、思子淵神眷属の童子・常満(浄満)、常喜(浄鬼)により霊滝に導かれ、不動明王を感得したといわれ、その子孫が葛野常満、常喜を襲名し続けているという。
 左京区百井にも同社名の志古淵神社がある。また、「七しこぶち」としては、当社と安曇川流域一帯、滋賀県内の6社と合わせて呼んだ。7社は安曇川水系の川上より信興淵大明神(滋賀県大津市葛川坊村町)、思子渕大明神(滋賀県大津市葛川坂下町)、久多の当社、志子渕神社(滋賀県大津市梅の木町)、志子淵神社(滋賀県高島市朽木岩瀬)、思子淵神社(滋賀県高島市朽木小川)、思子淵神社(滋賀県高島市安曇川町中野)になっている。これらにはいずれも、滋賀県東浅井郡に伝えられている「ガワタロウ(河童)」の伝承がある。
 滋賀県朽木(くつき)の民話に「しこぶちさん」がある。昔、しこぶちさんという筏師がいた。ある日、尾越(おご)せの続(つづき)が原のおかい野で筏を組み、幼い息子を乗せて川を下った。ところが、金山渕(かなやまふち)で、岩の角に当たり筏は動かなくなる。前に乗っていた息子の姿が消えていた。しこぶちさんが川中を覗くと、河童の川太郎が子を水中に引きいれていた。しこぶちさんは息子を助けようと、竿で河童の皿を叩いた。河童は謝罪し、息子を返した。だが、河童は中野の赤壁に先回りし、仕返しにしこぶちさんの筏を止めた。しこぶちさんが竿竹で反撃したため、河童は以後、筏師には手を出さないと誓った。その証として、杉の枝を逆さにして差し出す。その逆さ杉からやがて枝が出て根を張った。杉は中野の逆さ杉と呼ばれ、実際に生えていたという。その後、枯死したらしい。また、菅の蓑笠、香蒲のはばき、辛夷の竿を持つ筏師には害を加えないと約束させたともいう。村人はしこぶち講をつくり、旧暦10月7日には報恩講を営んだ。筏流しの守り神として、各所にしこぶち神を祀ったという。
 また、思子渕神が子神とともに安曇川を下り、金山渕、中野の赤壁で河童に子神を取られ、これを懲らしめ子神を救い出したともいう。
◆末社 境内末社は、弥生時代、第15代・応神天皇を祀る若宮社。山の神、大山祇神(おおやまづみのかみ)を祀る山神社。ほかに不明の一社がある。
◆宮座 地区にはかつて宮座が組織されていた。宮座は、神社祭礼執行、村政を独占的に行っていた集団をいう。この地域では、家株、家筋により世襲的な本座、中座、さらにそれぞれに左座、右座があった。
 座へは19歳で烏帽子着(えぼしぎ)として入座し、宮使(みやじ)、大人(おとな)、正冠(しょうかん)、神殿(こひうど)と進んだ。座は、仮屋で寄合していた。
 久多荘では隣村の葛川(現大津市)との鎌鞍峰をめぐる諍いがあり、時には武器を用いて負傷者も出ている。また、筏流しをめぐる争いもあった。このため、思古淵神の信仰、宮座も地区住民の紐帯になっていた。
◆建築 石垣上に拝殿、さらに高く積まれた石垣の上に本殿が近接して建てられている。
 現在の「本殿」は、江戸時代、1672年に建てられた。当初はこけら葺、現在は杉皮葺の三間社流造。 蟇股などに古い形態を残すという。1984年に本殿は、京都市指定有形文化財に指定されている。
文化財 鎌倉時代前期の「大般若波羅蜜多経」は、かつて地域にあった尼寺より当社に移されたとみられている。 
 2010年よりの大谷大学(北区)の調査で、「木造五輪塔」が発見された。現存国内最古の可能性があるとされている。基壇に平安時代末期、「平治元年十二月九日」(1160年/1159年とも)と記されていた。五輪塔は「大般若波羅蜜多経」とともに、地域にあった尼寺から移されたのではないかという。
 五輪塔は基壇を含めて高さ29.3㎝あり、上から空輪・風輪・火輪・水輪・地輪があり、その四方に釈迦如来などを意味する梵字が墨で記されていた。峰定寺(左京区花背)を開いた平安時代末期の僧・西念(生没年不詳)、歌人で後に出家した寂念(藤原為業、1114-?)の名が記され、「施入僧寂念」とあった。寂念が西念の供養のために造らせた可能性があるという。久多には峰定寺の寺領があった。
 内部の空洞、空輪に水晶か真珠とみられる5-6㎜の球体、さらに地輪と基壇に人毛か紙片が納められているとみられている。
◆花笠踊 8月24日夜に奉納される久多花笠踊は、灯籠踊ともいわれている。久多ノ庄に住んだ久多氏の祖・中納言兼忠の霊に捧げるものともいう。室町時代から続くとされ、中世の風流燈籠踊の形を残しているという。八瀬赦免地踊りの原形ともされる。久多花笠踊保存会が組織され、踊りを継承している。1997年、重要無形民俗文化財に指定された。
 地区では、8月16日頃から当日まで、5町内の花宿で花笠の制作が行われ、踊りの練習が行われる。24日当日の午後8時から、花笠灯籠を持つか頭に載せた浴衣姿の男衆達30余人が手振りで舞う。灯籠は、六角形の台の上に、四角形の行灯が載る。行灯は色紙で作られた花で飾られている。
 踊り手は周辺の上の宮神社、大川神社、当社の3社を巡りながら、歌と踊りを奉納する。踊りは太鼓と音頭取りの歌に合せ、念仏風の文句を唱え、花笠をゆする。
◆年間行事 新年祭・元旦祭(1月1日)、春祭・節句祭(4月3日)、祭礼(6月19日)、例祭・花笠祭り(8月24日)、秋祭・節句祭(9月9日)。


*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都市の地名』『比叡山史』、滋賀県のサイト「民話でたどる滋賀の風景『私の古寺巡礼』『史跡探訪 京の七口』『京都 神社と寺院の森』『京都市の指定文化財 第5集』


  関連・周辺志古淵神社(左京区百井)       関連峰定寺       関連延暦寺・無動寺谷(大津市)        周辺          

末社1

末社2

末社2

末社3

末社3

手水舎、舎内に榊が生えている。

【参照】大川神社
志古淵神社の北にある。当社にも久多花笠踊が奉納される。

【参照】大川神社、大杉(久多の大杉)、樹高約40m、幹周約6.6m。胸高直径50㎝の杉と地上8mまで合着している。1987年、京都市登録天然記念物。府下最大という。

【参照】安曇川水系の久多川、境内の近くを流れている。
針畑川の支流であり、宮谷川に合流、滋賀県の安曇川を経て、琵琶湖に注いでいる。
【参照】上の宮神社、志古淵神社の北近くにある。当社にも久多花笠踊が奉納される。
 志古淵神社 〒520-0463 京都市左京区久多中の町362番地  075-748-2017

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