浄住寺 (京都市西京区) 
Joju-ji Temple
浄住寺 浄住寺
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旧開山堂(本堂・禅堂)


旧開山堂(本堂・禅堂)


旧開山堂(本堂・禅堂)、鉄牛筆扁額「祝國」

旧開山堂(本堂・禅堂)

旧開山堂(本堂・禅堂)











 洛西の浄住寺(じょうじゅうじ)は紅葉の寺として知られている。葉室寺とも呼ばれた。山号は葉室山(はむろさん)という。
 黄檗(おうばく)宗。本尊は釈迦牟尼仏坐像。
 京都洛西観音霊場(洛西三十三所観音霊場)第30番札所。
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 平安時代、弘仁年間(810-824)、801年とも、第52代・嵯峨天皇の勅願により、第3代天台座主・円仁(794-864)が開創したともいう。常住寺と称した。勅願寺になる。旧跡は嵯峨天皇仏舎利安置所とされた。(縁起)。また、野寺常住寺(のでら じょうじゅうじ)と関連するともいう。
 その後、荒廃する。葉室家の別業になる。
 鎌倉時代、弘長年間(1261-1263)、1260年、1261年とも、中納言・葉室定嗣(定然、1208-1272)が出家し、山荘を寺とし、浄住寺に改めた。奈良・西大寺の真言律宗の僧・叡尊思円(えいそん しえん、1201-1290)を請じて中興した。(『感身覚世記』)。当初は戒律弘教の道場だった。
 1272年、定嗣没後、公家・葉室家の菩提寺になり、盛え、多くの堂宇が建ち並んでいたという。
 1298年、将軍家祈願所になる。塔頭49院があった。
 南北朝時代、本堂、鐘楼、鼓楼、舎利殿、多宝塔、食堂などが建ち並んでいた。
 1333年、千種忠顕は峰ヶ堂一帯に布陣した。六波羅攻めで、当寺は六波羅の北条勢の兵火により焼失し、その後荒廃した。
 室町時代、1493年、第10代・足利将軍・義材(義稙)を攻めた細川政元の反攻により、将軍側近の権大納言・葉室教光も処刑になり、教光の別業の浄住寺もそれに伴い破却された。
 江戸時代、1689年、1687年、元禄年間(1688-1704)とも、葉室孝重は、黄檗宗の禅師・鉄牛道機に帰依し、鉄牛を招き、真言律宗より黄檗宗の寺として再興した。当時の本堂、開山堂が現存する。また、稲葉正則、父子の葉室頼孝(よりたか)・頼重、万里小路淳房が、伊達綱村、島津綱貴、池田綱清、稲葉正通ら大名の寄進により再興したともいう。長松(鉄牛)下の一派頭として46末寺末庵があった。また、鉄牛は福島正則の援助により、寺地を購入し、弟子・知幻元成に復興させたともいう。鉄牛は中興開山になる。
 1775年、方丈、庫裏を焼失する。その後、再建される。
 現代、1978年、廃れていた洛西三十三所観音霊場めぐりが再興された。
◆円仁 平安時代前期の天台僧・円仁(えんにん、794-864)。慈覚大師。下野国に生まれた。9歳で大慈寺・広智に師事、808年、15歳で唐より帰国した比叡山の最澄に師事、最期まで14年間仕えた。815年、東大寺で具足戒を受ける。比叡山で12年の籠山行に入る。だが、5年後、法隆寺、四天王寺での夏安吾(げあんご、修行僧の集団生活による一定期間の修行)講師、東北への教化を行う。一時心身衰え、829年、横川に隠棲した。常坐三昧、法華経書写などの苦修練行を続け、夢中に霊薬を得て心身回復し、法華経書写を始め、小塔(如法堂)を建て写経を納めたという。首楞厳院(しゅりょうごんいん)を建立した。836年、837年、渡唐に失敗、838年、最後の遣唐使として渡る。その後、遣唐使一行から離れ、840年、五台山・大花厳寺を巡礼し、国清寺で学ぼうとしたが許可が下りなかった。長安・大興善寺で金剛界の灌頂を受け、青竜寺で胎蔵界灌頂、蘇悉地大法を授かる。また、悉曇(梵語)、止観(禅)も学んだ。山東半島、赤山新羅坊の新羅寺・赤山法華院で新羅仏教を学ぶ。現地では仏教弾圧(会昌の破仏)があり、日本と新羅はこの間に国交断絶していた。847年、帰国、仏典、金剛界曼荼羅など多数を持ち帰る。848年、比叡山に戻り、円珍に密教を教えた。横川中堂(根本観音堂)を建立する。854年、第3世・天台座主に就く。862年、東塔に天台密教の根本道場・総持院を建立した。『顕揚大戒論』、9年6か月の唐滞在記である『入唐求法巡礼行記』(全4巻)を著す。東京・瀧泉寺、山形・立石寺、松島・瑞巌寺など多くの寺を開いた。没後、日本初の大師号(慈覚大師)を贈られた。入唐八家(最澄・空海など)の一人。 
◆叡尊 鎌倉時代の律宗の僧・叡尊(えいそん/えいぞん、1201-1290)。叡尊思円、興正菩薩。大和国に興福寺の学侶慶玄の子。幼くして母を亡くし醍醐寺に入り、1217年、叡賢を師として出家した。高野山、東大寺などでも真言密教を学ぶ。1236年、東大寺で自誓受戒をし比丘となる。大和海竜王寺、1238年、西大寺に住む。「非人」を文殊菩薩の化身とし、「非人宿」を造り、戒を授け救済を行う。1269年、般若寺で非人供養した。ただ、非人観に限界があった。1262年、鎌倉幕府の北条時頼の招きで鎌倉にも下向した。1286年、宇治川の網代破却による殺生禁断を実行し、宇治橋を再興した。弟子に忍性がある。
◆葉室定嗣  鎌倉時代中期の公卿・葉室定嗣(はむろ さだつぐ、1208-1272)。藤原北家勧修寺流、葉室光親の次男。母は吉田定経の娘。1214年、叙爵となり、但馬、美濃などの国司、蔵人頭を歴任。1242年、従三位、1248年、正三位、権中納言に昇る。後嵯峨上皇の院司となり、院と六波羅探題とを調整した。1250年、辞し、弘長年間(1261-1263)、出家し、定然(じょうねん)と称し浄住寺の中興した。日記『葉黄記』がある。
◆鉄牛道機 江戸時代の黄檗宗の僧・鉄牛道機(てつぎゅう どうき、1628-1700)。黄檗鉄牛。長門、石見生まれともいう。11歳で鳥取・龍峰寺の提宗慧全(ていじゅう えぜん)に就く。大坂・大仙寺の湛月紹円(たんげつ しょうえん)に師事、妙心寺で学ぶ。15歳で剃髪、1655年、長崎・崇福寺の黄檗隠元に参禅、1656年、木庵性瑫の法嗣、鉄牛道機と名を改める。萬福寺創建に尽力した。浄住寺を中興、江戸・弘福寺、伊達綱村の招請により陸奥・大年寺、稲葉正則の帰依により相模・紹太寺、武蔵・弘福寺などを開創、江戸白金・瑞聖寺2世。鉄眼道光の大蔵経開板に協力した。下総椿沼の干拓に関わる。福聚寺を建て没した。謚号は大慈普応国師。
◆伊達綱村 江戸時代前期の大名・伊達綱村(だて つなむら、1659-1719)。幼名は亀千代、扇の君。父は3代藩主綱宗。母は三沢清長の娘・初子(浄眼院)。1660年、2歳で襲封、陸奥仙台藩主伊達家4代になり、一門・伊達宗勝らの後見を受けた。1671年、寛文事件(伊達騒動)では幕府裁定により藩領を安堵された。1675年、初入国。人材登用、学問興隆、産業振興、品井沼干拓などを行う。黄檗宗大年寺建立、亀岡八幡宮創建、塩竈神社修復、母のために建てた釈迦堂の馬場に、京都の桜を植えた。(榴岡公園)。藩正史『伊達治家記録』を編纂した。
◆葉室家 公家・葉室家(はむろけ)は、藤原北家勧修寺流。平安時代後期の参議・藤原為房(1049-1115)の二男、権中納言・藤原顕隆(1072-1129)によって創始された。顕隆は院政期の白河法皇の近臣に仕え、重要な政策に関与した。正三位・権中納言、葉室中納言、「夜の関白」とも称された。
 子孫・葉室家は、中世・近世に堂上家(名家)となる。
◆仏像・木像 本尊の「釈迦牟尼仏坐像」、脇壇の「阿弥陀如来立像」は鎌倉時代作、「葉室頼孝像」を安置する。
 「如意輪観音像」は、鉄牛が天竺仏を求め安置したものという。
 開山堂に「鉄牛像」を安置する。
◆仏牙 釈尊の歯(仏牙)と伝わるものが、当寺の寿塔に納められ、石窟の上に巨石が置かれている。
 伝承がある。釈迦没後、仏舎利(遺骨)を盗んだ鬼神・捷疾鬼(しようしつき)は、釈尊の歯も奪う。歯は韋駄天に渡った。その後、中国の律宗の祖・道宣律師に渡り、さらに、海を渡り嵯峨天皇を経て当寺に安置されたという。(『太平記』、寺伝)
◆建築 伽藍は、山門、参道、開山堂(本堂・禅堂、京都市指定文化財)、位牌堂、寿塔(京都市指定文化財)が一直線上に建てられている。京都市内に数少ない黄檗宗寺院建築になる。祠堂(京都市指定文化財)、宝蔵がある。
 「旧開山堂(本堂・禅堂)」は、江戸時代、1697年の建立による。黄檗様と和様が混合している。法堂であり、修行を行う僧堂の要素も持つ。内部両側に板敷の床が張られている。
 「東方丈(方丈)」は、江戸時代の建立という。陸奥仙台藩の第4代藩主・伊達氏第20代当主・伊達綱村の遺館であり、仙台藩伊達家の寄進による。仙台、江戸藩邸を経て、綱村が帰依した鉄牛に寄進し移したという。(寺伝)。江戸時代の武家屋敷の遺構であり、桁がやや縮小されている。12畳、15畳、上段の間(床・違棚)がある。武者隠しがあり、綱村を逃すために渡した丸穴が、床の間の壁に開けられている。
 祠堂(京都市指定文化財)の一部が「開山堂」になる。
◆文化財 開山堂には鉄牛禅師像、葉室氏、叡尊関係の史資料、叡尊自叙伝の古写本『感身覚正記』3巻などがある。
 報恩寺(上京区)には、浄住寺より移されたという舎利、銅灯などがある。報恩寺は浄住寺を前身とするともいう。
 仏殿に鉄牛筆の扁額「祝國」が掛かる。
 江戸時代の「浄住寺伽藍図」は、南北朝時代、1333年の古図の模写とみられている。往時の伽藍である本堂、舎利殿、宝塔、塔、四十九院、戒壇、宝蔵、食堂などが描かれている。京都国立博物館寄託。
◆墓 開山堂に鉄牛の遺骸を葬る塔所がある。
 葉室家の墓がある。
◆楓 境内には楓が多く植えられている。
自然 境内は京都市指定環境保全地区、境内・裏山は京都府指定風致保全地区に指定されている。
◆峯の堂 当寺の西方、600mに峯ノ堂(峯堂)と呼ばれる山があった。1933年、山腹より鎌倉時代の石塔、瓦などが発見される。平安時代末期-鎌倉時代初期の延朗(えんろう、1130-1208)が建立した峯堂(法花山寺)の遺構という。
◆修行体験 坐禅会(毎月第2土・日曜日、土曜日15:00-日曜17:00)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都の禅寺散歩』『京都古社寺辞典』『昭和京都名所図会 4 洛西』 『京都の寺社505を歩く 下』『京都府の歴史散歩 上』『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』『国宝への旅 2』『日本の名僧』『洛西歴史探訪』『古佛』、当寺縁起「葉室山淨住寺」


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